uatsh-tide-uatsh
Uatsh-tide-uatsh ist ein interdisziplinäres Kooperationsprojekt von Masako Kato, Katharina Kneip und Duoni Liu. Einen Monat lang paddelten Masako Kato und Katharina Kneip in einem Zweierkajak von Münster (Westf.) nach Kopenhagen und filmten bis auf die Schlafenszeiten durchgehend mit zwei Actionkameras.
Ein 1100 km-30 Tage langes Zweikanalvideo ist entstanden, zu welchem eine ebenso lange Komposition von Duoni Liu geschaffen wurde.
In Echtzeit geht es über das Wasser des Dortmund-Ems-Kanals, des Mittelland- und Elbeseitenkanals, der Elbe und des Nord-Ostseekanals sowie über deutsches und dänisches Ostseewasser bis in den Kanal in Kopenhagen. Pausen, Toilettengänge und Einrichten des Schlafplatzes folgen gleichberechtig auf Buchtquerungen, stundenlanges durch den Regen paddeln, stürmische Wellen und Gegenwind.
Die Arbeit besteht aus zwei Videoprojektionen und der Musikkomposition, welche gemeinsam für die gesamte Dauer von 30 Tagen laufen.
Die zwei Videos zeigen denselben und doch jeweils einen persönlichen Moment, dessen Erlebnis trotz durchgehender, visueller Beobachtung nie ganz mitzuteilen sein wird. Die Komposition verbindet im Nachhinein die beiden Videos zu einem neuen, ganzheitlichen Erlebnis für die Betrachter:innen.
Bei der Präsentation geht es um ein Bewusstwerden von Gleichzeitigkeit, dass die Videos weiterlaufen, auch wenn die Betrachtenden weiter gehen, mögleicherweise immer noch laufen, wenn sie nach ein paar Tagen noch mal vorbeikommen. Im Gegensatz zu unser heutigen Gewohnheit bzw. Möglichkeit, bei Langeweile weiter zu scrollen, muss man hier aushalten oder etwas verpassen.
uatsh-tide-uatschは、ドイツ出身アーティストのカタリーナ・クナイプ、中国出身コンポニストのドゥオニ・リウと加藤雅子との三人による協同アートプロジェクトである。
2020年6月半ば、加藤雅子とカタリーナ・クナイプは二人乗りのカヤックでドイツ・ミュンスターを出発、デンマークの首都コペンハーゲンを目指し、運河・河川そしてバルト海を30日間、約1100km航海した。航海中の波の動きや通り過ぎていく風景を含め、カヤック上での出来事、食事、電池やSDカードの交換など、旅の全行程は二つのアクションカメラによって、就寝中を除き常に記録された。
二つの映像とサウンドから成るこの作品は 、ドイツ・ミュンスターとデンマーク・コペンハーゲンをはじめ、航海で立ち寄った都市での展示を予定している。
映像が昼である時は展示場所も昼、映像が夜である時は展示場所もまた夜というように、展示場所と映像内の時間とが一致するよう作品は上映される。二人の視点は編集や加工を施されることのない映像として、ドゥオニ・リウによる30日間の時間と同じ長さの曲と共にたゆたい、流れていく。
この二つの映像がゆっくりと並行し流れている間、 鑑賞者はこの映像作品の全てを把握する事はできないのだと気づくかもしれない。そして例えば、その鑑賞者が2、3日後にまた立ち寄ったとしても、立ち寄らなかったにしても、その映像はずっとそこで流れ続けているのだ、と考えるかもしれない。この作品は、この”同時性”を意識することそのものを目的としている。
二人はミュンスターという街を始まりとし、途中寄り道をしながらも主に水の上を一つのカヤックで渡っていく。それぞれの街をつなぎ、国や州の境界を漕いで行き、身体的な経験として共同の、忍耐の必要な長い時間をかけたこの体験は、一風変わった企てであり、文明的な冒険であり、冒険に繰り出すという男性像へのアイロニックなコメントでもある。
また、 運河や国境のような人によって作り出された地理的・政治的な特徴、社会的環境に関する 問いかけ、私的と公的、劇的なこととつまらないこととの分類について思考すること、そしてある瞬間を追体験することを促していく。 一見特別な出来事の起こらない、並行する二つの視点を曲が繋げることによって、二つの映像はまとまった一つの新しい体験として表現される。
それはただそこにあり、ただ流れていき、ほぼ何も起こらない。現代に生きる私達は、手持ち無沙汰な時にただ携帯をスクロールする様な習慣や手段を持っている。しかしこの作品の前ではただ我慢して観るか、もしくは見逃すことを選ぶしかできないのだ。